出土状況と概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 09:53 UTC 版)
「大宮城 (駿河国)」の記事における「出土状況と概要」の解説
大宮城の築城は中世に富士郡の国衆である富士氏によって行われたとされるが、詳しい築城年は不明である。大宮城は別名に富士城があり、今川氏や後北条氏が用いていた。また近世の記録では「神田曲輪」と記すものも複数例認められる。 城域における発掘調査では建物跡・溝跡・土塁跡・堀跡・井戸跡などの遺構が検出されている。城の構造としてはそれぞれを溝で仕切った郭があり、主郭が西側に二ノ郭を、その前面に蔵屋敷を配置し、それらの周りを土塁と堀で囲んだ連郭式の構造をしたものと評価される。 大宮城跡からは大量のかわらけが出土しており、破片数では約33,000点にも上る。富士郡に所在する遺跡としては、出土遺物の量が隣接する富士山本宮浅間大社とともに突出しており、富士大宮の拠点性を示している。また威信財と言えるものも多く出土しており、貿易陶磁が確認されている。灰釉陶器や14世紀頃の陶磁器片の他、永楽通宝や洪武通宝といった銭貨も出土している。一方16世紀以降のかわらけや江戸銭は出土しておらず、伝承の通り16世紀後半には廃城になっていたと考えられている。
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