再来日─東京を描く
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 04:00 UTC 版)
「ノエル・ヌエット」の記事における「再来日─東京を描く」の解説
1930年、今度は東京外国語学校(現・東京外国語大学)の教師として再び単身で来日する。そのかたわら授業の合間に街へ出て、東京の風景をスケッチするようになる。絵はパリで内藤を通じて知り合った石井柏亭から学んだが、スケッチには鉛筆ではなく万年筆を用いた。スケッチが溜まると、ヌエットはこれを関係があった白水社に持ち込み、雑誌『フランス』で使われるようになる。また、これを見た他の出版社が今度は絵はがきにするよう提案、ヌエットは喜んで同意し絵はがき集『古き東京、新しき東京 一外国人のペン画』が売りだされた。このポケット版の絵はがき集はよく売れたが、殆ど無報酬だった。それでもヌエットは、自作の絵はがきを友人に送ることができて満足だった言う。さらにヌエットは知り合いのいた『ジャパン・タイムズ』に東京スケッチの新聞掲載を依頼すると、快諾され紙上に週1回3年にわたってデッサンを掲載された。同社社長の芦田均は、最初の50枚が溜まるとこれで画集を作るよう提案し、最初の画集『東京ー一外人の見た印象 一集』として刊行した。絵にはヌエット自身の説明書きがフランス語と英語で載せられ、日本での出版物にもかかわらず日本語が殆ど無い本であったが、よく売れてまもなく第二集が出版された。
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