再来間隔
再来間隔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 23:07 UTC 版)
「チリ地震 (1960年)」の記事における「再来間隔」の解説
この震源域では1575年、1737年および1837年にも巨大地震が発生し、1837年の津波は日本にも襲来した記録があるが、津波堆積物の調査から、堆積物を形成するような特に規模の大きな当該タイプの巨大地震は平均300年間隔で発生し、前回は1575年バルディビア地震である可能性が高いとされている。
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再来間隔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 06:20 UTC 版)
この地震は地震に伴い隆起する特徴を持っていることから、海岸線に残された痕跡から発生間隔の解析が試みられている。 松田(1985, 93)は、相模トラフ付近で発生する地震を元禄型関東地震、大正型関東地震、大磯型地震に分類し、元禄型は相模トラフ沿いの相模湾から外房を震源域とし再来間隔は1000-1500年、大正型は相模湾内を震源域とし再来間隔は800±400年、大磯型は国府津-松田断層の地震とし再来間隔は170±60年とした。 松田(1974)らは、元禄地震と大正地震は断層破壊部分が互いに相補的な関係にあるとし、房総半島南端における段丘に見られる地震時隆起量、沼面高度および平時の平均沈降速度から、元禄+大正型の巨大地震の再来間隔を700-1200年程度と見積もった。宍倉(2003)は、房総半島南岸の離水海岸地形から、波食棚(英語版)の幅の広い元禄型の巨大地震は約2300年程度、大正型の地震は400年程度の再来間隔と見積もった。 一方、石橋(1977)は、元禄地震は大正地震の断層破壊部分を含み相補的ではなく、また地震の間隔が海食作用が十分に行われない程度に短い場合は明瞭な平坦面が形成されない場合があるとして、200-300年程度の可能性もあり得るとした。瀬野(1976)はプレートの相対運動と地震時断層滑り量から大正型地震の再来間隔を220年前後と見積もり、瀬野(1977)は房総南部の段丘の隆起量と地震時隆起量、地震直後の回復的変動量、地震間の沈降量を加味して大正型地震の再来間隔を180 - 400年程度、元禄型地震は950 - 2500年程度と見積もった。 藤原(2012)は相模トラフ沿いの巨大地震が、878年相模・武蔵地震(元慶地震、M 7.4)、1293年鎌倉大地震(永仁地震、M 7.0程度)、1703年元禄地震 (M 8.1)、1923年大正地震 (M 7.9) であるならば最短220年、最長415年とし、瀬野徹三は元禄と大正の関東地震はほぼ最短の間隔で発生したと考えている。ただし、上述の通り元禄関東地震以前の記録はほとんど残っていないため、正確な周期については不明である。大正関東地震の震源域の南端は神奈川県西部から野島崎付近までである[要出典]。一方、元禄関東地震の震源域には房総半島南東沖も含まれ、このような地震は約2000年周期で発生すると推定されている[誰?]。 この房総半島南東沖の震源域について約2000年より短い周期で繰り返し地震が発生してきた可能性があることが、産業技術総合研究所の海溝型地震履歴研究チームの調査により、2011年9月に日本地質学会で発表されている。房総半島南部沿岸の地質調査により従来の約2300年の周期と一致しない隆起痕が複数発見されたことによるもので、詳細な発生周期の解明には陸上だけでなく海底調査なども必要としている。地震の規模についてはM8級クラスの可能性がある。また、元禄関東地震については「大正型」の震源域に加えて、房総半島南東沖の「外房型」の震源域による連動型地震の可能性も指摘している。
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