円空と仏教文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 09:19 UTC 版)
延宝2年(1674年)夏、仏師・円空は立神村を訪れ、しばらく村の薬師堂に滞在した。立神村滞在中、円空は天然の立ち木を鉈(なた)で彫った「鉈彫り観音像」を作り、十六善神など128点の仏画を描き、村に伝わる『大般若経』を巻本から折本に改めるとともに不足する19冊を写経させた。志摩国滞在中の円空は、仏画を簡略化して描くという技法を会得し、仏像の彫り方も簡素でダイナミックになるという、作風の変化の契機になった。 薬師堂は2010年(平成22年)8月7日に全焼し、堂内にあったささら踊りの道具も焼失した。一方、堂内にあった薬師如来像や鰐口は搬出され、耐火金庫に保管されていた大般若経も無事であった。跡地には立神コミュニティ倉庫が建てられた。
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