円福院とは? わかりやすく解説

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円福院

読み方:エンプクイン(enpukuin)

別名 五百羅漢堂

宗派 天台宗

所在 滋賀県大津市

本尊 釈迦如来


円福院

読み方:エンプクイン(enpukuin)

宗派 黄檗宗

所在 山口県萩市

本尊 釈迦如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

円福院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 00:12 UTC 版)

心定」の記事における「円福院」の解説

心定建立した円福院は「豊原三千坊と言われ豊原寺にあって中核的な存在だった。しかし、豊原寺室町時代末期には越前一向一揆巻き込まれ一揆軍大将である本願寺坊官下間頼照本陣になるなど戦乱翻弄され天正3年1575年)には織田信長陣所となって堂塔焼亡し、まったく衰微した一向一揆制圧後には柴田勝家の甥の勝豊豊原寺に城を置いたが、ここから坂井平野を見渡すことができず、翌年には現在地子岡(丸岡)上に丸岡城築き豊原から円福院や西得寺などを町の南西南東方向移転させ、寺町形成した山本博文によれば古地図を見ると、特に町の南西部には堀がなく(略)、防備手薄なところに寺院配することで、城下町防衛拠点としたのである」という。また明治期成立の『寺院台帳』には「元禄八年有馬仰信セラレシ時篠岡ヨリ当町字巽ノ地ニ遷座シ玉ヘシ」とあり、有馬清純入部の際、丸岡城近くの巽に移転させたことが裏づけられる。 円福院は現在も同地真言宗智山派寺院として存続している。

※この「円福院」の解説は、「心定」の解説の一部です。
「円福院」を含む「心定」の記事については、「心定」の概要を参照ください。

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