共和制・人民民主党政権 (1973年 - 1992年)
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1973年に王政を打倒して樹立されたアフガニスタン共和国(ムハンマド・ダーウード政権)の国章は、最初の1年間は王政時代の国章からイスラム暦の独立年(西暦換算では1919年)を除いたものであった。1974年からはデザインを一新した。 1978年のクーデターによってダーウードは処刑されアフガニスタン人民民主党による社会主義国家、アフガニスタン民主共和国が樹立された。最初の国章は共産主義的なデザインに、中央に「ハルク (ペルシア語: خلق、人民の意)」と描かれていた。これは党内派閥のハルク派(Khalq)が主導権を握っていたことにも影響している。しかし1979年の嵐333号作戦によってハルク派は排除され、新たにパルチャム派が主導権を握った。これに伴い国章は変更された。1987年、新憲法によって国名を「アフガニスタン共和国」へ改め、脱共産主義が進められた。国章からは共産主義の象徴である赤い星が取り除かれた。 1973-1974 1974-1978 1978-1980 1980-1987 1987-1992
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