公海 (僧)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/23 09:50 UTC 版)
公海(こうかい、慶長12年12月12日(1608年1月29日) - 元禄8年10月16日(1695年11月22日))は、江戸時代前期の天台宗の僧。父は花山院忠長。母は本願寺教如の娘。師の天海の没後に日光山貫主を継承する。
略歴
1620年(元和6年)天海僧正の門に入る。1643年(寛永20年)に天海が没するとその法をついで東叡山寛永寺に住し、天台宗の総本山である比叡山・徳川家康を祀る東照宮のある日光山を管理下に置いて天台宗一宗を管領するようになった。1647年(正保4年)に僧正に任じられ、翌1648年(正保5年)には大僧正に就任した。後に守澄法親王に三山の管理者の地位を譲った。天海の遺志をつぎ山科(現在:京都市山科区)毘沙門堂を復興している。
「公海 (僧)」の例文・使い方・用例・文例
- 公海を航行中に襲撃された.
- 公海では祝砲を撃たぬ習慣だ
- 公海の上、または、同様の状況ハイジャックすること
- 公海上で用いられる
- 公海上で遺棄された船
- 戦時に公海で中立国の船舶を停めさせ、臨検する、交戦国の権利
- 軍事作戦が連携している作戦地帯(特に中立の権利が交戦している国によって尊重されていない公海の指定地域)
- すべての国の領海の外側の公海
- 商業船が公海を自由に航行できる権利
- 公海を自由に通航できる権利
- 公海自由の原則という,国際法における考え方
- 公海における,国家の帰属からの自由と使用の自由
- 防空識別圏という,自国の安全のために公海上空に設ける空域
- 国際法で,領海内で法に違反した船舶に対し追跡を開始し,公海へ出た場合もそのまま追跡を継続すること
- 公海_(僧)のページへのリンク