八重姫 (伊東祐親の娘)とは? わかりやすく解説

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八重姫 (伊東祐親の娘)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/19 13:59 UTC 版)

八重姫(やえひめ、生没年未詳)は、平安時代末期の女性伊豆国伊東庄(現・静岡県伊東市)の豪族であり、頼朝の監視役であった伊東祐親の三女。源頼朝の最初の妻とされる。頼朝の初子・千鶴御前(千鶴丸)の母。


注釈

  1. ^ 北条義時の通称と同じだが別人。義時は安元元年(1175年)時には13歳。『曽我物語』の異本には、江間の小四郎が討ち死にした後に北条時政がその跡を賜ったとするものもある。さらにその子を北条義時が預かって育てたとするものもある。
  2. ^ 境内に「最誓寺縁起」が記された石碑があり、以下の記述がある。
    * 開創 鎌倉初期真言宗「西成寺」として建立さる。
    * 開基 北条氏二代の執権江間小四郎とその室八重姫の立願による。
    * 由緒 源頼朝が伊豆配流の折八重姫との間に一子千鶴丸をもうけしが平家の寵臣たる父伊東祐親の怒りに触れ「稚児が渕」に沈めしをその菩提を弔うため創建さる。
  3. ^ 北条時政の最初の正室は伊東祐親の娘(妹とも)で、政子の弟の義時は彼女の子である。政子の生母に関する明確な史料はないものの、『曽我物語』では政子の生母を曾我兄弟の伯母(祐親の娘)とする記述があり[2]、正室の子であるならば八重姫と政子は叔母と姪(もしくは従姉妹)の関係となる。

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