全日本プロレス ジェット
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ジャンル | プロレスゲーム |
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対応機種 | ゲームボーイ |
開発元 | ジオファクトリー |
発売元 | メサイヤ |
プロデューサー | 薮崎久也 石塚輝 |
ディレクター | 石塚輝 |
デザイナー | えのもとじゅん |
プログラマー | 川原英明 松田哲哉 |
音楽 | 佐々木筑柴 森彰彦 |
美術 | 岩本紀彦 |
シリーズ | 全日本プロレスシリーズ |
人数 | 1 - 2人(対戦プレイ) |
メディア | 2メガビットロムカセット |
発売日 | ![]() |
デバイス | 通信ケーブル |
その他 | 型式:DMG-JZJ |
『全日本プロレス ジェット』(ぜんにほんプロレス ジェット)は、1994年7月15日に日本のメサイヤから発売されたゲームボーイ用プロレスゲーム。
同社のスーパーファミコン用ソフト『全日本プロレス』(1993年)の姉妹品にあたる。全日本プロレス所属の8名のプロレスラーが登場し、20種類以上の必殺技が用意されている。
開発はジオファクトリーが行い、プロデューサーはスーパーファミコン版を手掛けた石塚輝および薮崎久也、音楽は佐々木筑柴および森彰彦が担当している。
ゲーム内容
基本的にはスーパーファミコン版と同じであるが、ゲームボーイ用ソフトであるため画面が白黒となっている。また、その他レスラーやゲームモードが大幅削除となっている。
ゲームモードとして、「三冠ヘビー級選手権」、「世界タッグ選手権」、「ジャイアントシリーズ」が収録されている。
登場レスラー
スタッフ
- プロモーション・スタッフ:小森俊幸、寺田浩一郎、佐藤弘明
- アートワーク:岩本紀彦
- ゲーム・デザイン:えのもとじゅん
- プログラム:川原英明、松田哲哉
- サウンド・デザイン:TSUKUSHI(佐々木筑柴)、DON(森彰彦)
- ディレクター:石塚輝
- アシスタント・ディレクター:進藤 "GORO" 恭佐
- スペシャル・サンクス:馬場正平(全日本プロレス)
- プロデュース:薮崎久也、石塚輝
- エグゼクティブ・プロデューサー:渋谷実夫
評価
評価 | ||||||||
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- ゲーム誌『ファミコン通信』の「クロスレビュー」では、6・5・5・5の合計21点(満40点)[1]、『ファミリーコンピュータMagazine』の読者投票による「ゲーム通信簿」での評価は以下の通り、19.3点(満30点)となっている[2]。
項目 | キャラクタ | 音楽 | お買得度 | 操作性 | 熱中度 | オリジナリティ | 総合 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
得点 | 3.8 | 3.1 | 3.1 | 3.0 | 3.1 | 3.2 | 19.3 |
脚注
- ^ a b “全日本プロレス ジェット まとめ [ゲームボーイ]”. ファミ通.com. KADOKAWA CORPORATION. 2020年12月6日閲覧。
- ^ a b 「超絶 大技林 '98年春版」『PlayStation Magazine』増刊4月15日号、徳間書店/インターメディア・カンパニー、1998年4月15日、492頁、ASIN B00J16900U。
関連項目
「全日本プロレス ジェット」の例文・使い方・用例・文例
- あのジャンボジェット機は400人乗れる
- ジェットエンジン
- ジェット機の音が消えていった
- その大型ジェット機が離陸した
- 私はジェット機でアメリカに飛んだ
- ジェット機は約2万5千フィートで水平飛行に移った
- そのジェット機のスピードはほぼ音速に等しい
- ジェット機のパイロット
- 彼は60年代にジェット族の一人だった
- その遊園地ではジェットコースターなどに乗れますよ
- そのジェット機は南へ飛んで行った
- ジェットスキーに乗りに行く
- 彼は金持ちになってジェット族に仲間入りした。
- ジェットエンジンの逆推力装置
- そのジェット機は音速に近いスピードで飛ぶ。
- バイオジェット燃料
- 彼はジェットコースーターに乗ってとても怖がった。
- 私は最初にジェットコースターに乗りました。
- 私たちはジェットコースターに乗りました。
- それは観覧車より高いジェットコースターです。
固有名詞の分類
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