全地公会議の一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 23:01 UTC 版)
第1~第7全地公会は下記のとおりである: 第1ニカイア公会議(325年) - アリウス派排斥およびニカイア信条(原ニケア信条)採択、復活祭(復活大祭)の日付を確定。 第1コンスタンティノポリス公会議(381年) - 三位一体論(至聖三者論)の定義、ニカイア・コンスタンティノポリス信条(ニケア・コンスタンチノープル信条、ニケヤ信経)採択。 エフェソス公会議(431年) - ニカイア・コンスタンティノポリス信条の正統性を確認。ネストリウス派の排斥と「神の母」:「生神女」論争の決着。 カルケドン公会議(451年) - エウテュケスらの唱えた単性論(449年エフェソス強盗会議において認められたもの)の排斥。この時、自らを単性論ではなく「合性論」であると主張し、この裁断を不服とする非カルケドン派正教会が大規模に分立した。 第2コンスタンティノポリス公会議(553年) - 三章問題の討議、カルケドン公会議の決定の再確認。 第3コンスタンティノポリス公会議(680年~681年) - 単意論の排斥。ホノリウス問題を討議。 第2ニカイア公会議(787年) - イコン破壊論者の排斥。大斎の第一主日は「正教勝利の主日」とされ、この公会議でイコンの正統性が確認されたことを記憶する。
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