児玉党に関連する武家館・城跡
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「栗崎館」の記事における「児玉党に関連する武家館・城跡」の解説
児玉党は50を超える氏族を輩出してきた武士団である為、中世館跡は(北埼玉では)多い方に当たる。以下はその一部を記載。 栗崎館跡の東側には東本庄館跡。(本庄信明により築造) 栗崎館跡の北側には本田館跡。(四郎左衛門尉時家が築造か)北堀堀の内234。 本田館跡のさらに北側に本庄城跡。(本庄実忠により築造)台町城山571。 栗崎館跡の西北側に四方田氏館跡。(弘高により築造か)四方田堀の内78。 四方田氏館跡の北側で小島氏館跡の南側に富田氏館跡。(富田親家により築造)西富田473。 栗崎館跡の東北側に五十子陣跡。(山内上杉家が築造) 五十子陣跡のさらに東北側に牧西氏館跡。(弘高の子、四郎弘季により築造)牧西堀の内439。 牧西氏館跡より東側に滝瀬館跡。滝頼163。 大久保遺跡。栗崎東谷214。
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