児玉党本拠地の移転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/04/06 03:24 UTC 版)
児玉党の本宗家3代目である児玉家行(武蔵権守を称した)の嫡子として生まれた家弘は、児玉党本宗家4代目を継ぎ、北上して本拠地を栗崎の地に構え、館を築く。そして栗崎に土着し、児玉庄太夫家弘を称した(大夫も参照)。児玉党が児玉氏によって支配されたのは3代目までであり、それ以降は庄氏・本庄氏を名乗り、武蔵国の北部国境付近である現在の本庄に館を築く様になった。以後、栗崎・北堀・本庄は児玉党本宗家の領地となる。本庄は内陸部の台地であり、南に大久保山(山と言うより丘)、北に利根川と言った地理条件があった。 家弘の孫の庄家次の代になり、庄氏本宗家は栗崎館を去り、西日本に土着した為、在地に残った時家により、北堀の地に館が構えられ、本庄氏を名乗る様になる。
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