傀儡と協力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 15:13 UTC 版)
「第二次世界大戦時のギリシャ」の記事における「傀儡と協力」の解説
ドイツとの降伏交渉を行ったゲオルギオス・ツォラコグル将軍は、ドイツ傀儡政権の首相に任命され、アテネに滞在した。その後、首相の座はドイツに協力した著名なギリシャ人、コンスタンディノス・ロゴセトプロス(英語版)、イオアニス・ラリス(英語版)らに後を継がれる事となる。なお、イオアニス・ラリスはギリシャのドイツ協力部隊「防衛大隊(Security Battalions、Τάγματα Ασφαλείας)」の創設に責任を負っていた。抵抗運動の強かったギリシャではあったが、対独協力者は存在しており、国家社会主義、反共主義、そして日和見主義の発展のためにドイツへの協力を行った者が存在した。さらにドイツは、協力者を求め、ギリシャのファシズム組織、EEE(Εθνική Ένωσις Ελλάδος、Ethniki Enosis Ellados)、ゲオルグ・S・メルクーリ(George S. Mercouris)が指導者を務めるEEK(Ελληνικό Εθνικό Σοσιαλιστικό Κόμμα、 Elliniko Ethniko Sosialistiko Komma、)などやその他、ファシズムのESPO(Hellenic Socialist Patriotic Organization)や反ユダヤ主義のSidira Eirini(「鉄の平和(Iron Peace)」)などの小派閥も利用した。 ギリシャの少数民族の中ではチャム=アルバニア人がエピルスにおいて枢軸国軍に協力した。 そのため、その後の1944年、ギリシャ解放後、民族協和ギリシャ連盟(Εθνικός Δημοκρατικός Ελληνικός Σύνδεσμος、 EDES)はこれを口実として、チャム=アルバニア人をギリシャから追放した。マケドニアにおいてはスラブ系少数民族はOhranaのような準軍事組織を創設して、ギリシャ人の追放を行い、ブルガリア軍に協力した。
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