傀儡の王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:08 UTC 版)
ロクサネはまもなく男子を産み落とし、生まれてきた子供はアレクサンドロス4世と名づけられ、(形だけではあるが)ピリッポスの共同統治者とされた。その結果ペルディッカスが帝国摂政としてアレクサンドロス4世を後見し、人望のあった武将クラテロスがピリッポス3世の後見人となることが定められた。しかし、アレクサンドロス大王の遺領をめぐる武将達の争い(ディアドコイ戦争)は収まることはなく、紀元前321年にクラテロスもヘレスポントスの戦いで敗死した。その後、ピリッポス3世はマケドニア本国に移されたが、間もなくここでカッサンドロスとポリュペルコンが帝国摂政の地位をめぐって争いを起こした。ピリッポス3世の妻エウリュディケ2世はこの際に、カッサンドロスと結んでマケドニア王家の実権を握ろうとした。これに対しポリュペルコンと同行していたオリュンピアスは軍を自ら軍を率いてマケドニアに乗りこんできた。紀元前317年オリュンピアスによってピリッポス3世は捕えられ、処刑された。
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