偽りの由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 15:06 UTC 版)
ヘンデルが、1717年から1718年までキャノンズのシャンドス公爵に仕えていた頃、鍛冶屋の軒下で雨宿りをしていたところ、ハンマーが金床を撃つ音に霊感を受け、旋律を思い付いて書き留めたとする逸話がある。第1変奏において規則的に反復される保続音(右手のロ音)が、鍛冶職人の鉄鎚の音を連想させうるからである。この話の変形に、ヘンデルは鍛冶屋が口ずさんだ旋律を耳にして、その後「エア(旋律主題)」にしたというものがある。この説明は、旋律を借用するというヘンデルにはよくある手法と見事に合致する。 だが、どちらの話も真実ではない。この手の伝説は、ヘンデルの死後75年を経て現れた、リチャード・クラーク(Richard Clark)の著書『ヘンデルの回想(Reminiscences of Handel)』(1836年)が出所なのである。当時ヘンリ・ワイルド(Henry Wylde)とクラークは、ウィットチャーチ近隣の鍛冶屋の工房で古びた金床を見つけると、ウィリアム・パウエルこそが件の「鍛冶屋」であるとのデマをでっち上げた。だが、実のところパウエルは、教会の牧師だったのだ。ワイルドとクラークは、寄付を募ってパウエルの木製の記念碑さえ建てた。1868年には、今度はウィットチャーチの住民が壮大な墓碑を建てた。これは今も存在しており、碑文には次のようにある。 愉快な鍛冶屋ことウィリアム・パウエルを偲んで。1780年2月27日埋葬、78歳。不滅のヘンデルが当教会のオルガニストであった頃、(パウエルは)牧師だった。 ヘンデルは、セント・ローレンス教会のオルガン奏者だったためしはなく、1720年にチェンバロ組曲を作曲した頃は、まだキャノンズにはおらず、チェシャー州のアドリントン・ホールにいたのである。
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