健介オフィスの設立
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「ダイヤモンド・リング (プロレス)」の記事における「健介オフィスの設立」の解説
2005年11月15日、北斗はユニットのマネジメントを担当する会社「健介オフィス」を設立。これにより3人は健介オフィス所属となり、同社はマネジメント業と共に、プロレスプロダクションとしても活動していくことになった。代表取締役には北斗晶こと佐々木久子が、選手アドバイザーには「健介の生みの親」ことマサ斎藤が就任。女子プロレスラー出身者の男子団体社長就任は国内初。 会社設立に伴い、北斗の地元である埼玉県吉川市に自社ビル(道場、寮、飲食店、事務所)を建設することを発表し、練習生とスタッフも募集した。北斗は、かつて自身が所属していた全日本女子プロレスのシステムを導入して厳しいオーディションを行うことを明言。入門後もプロテストを行い、不合格の場合は退寮となるシステムを採用した。 当初予定していた自社ビルの構想は耐震強度などを理由に見直しとなり、その結果、1階に道場、2階と3階に事務所と寮という構成に変更された。飲食店に関しては、別途店舗を賃貸して行う構想が発表された。また、健介オフィスのブログはアメーバブログ(サイバーエージェント)が制作、運営をしている。 2006年11月29日に記者会見を行い、プロレスプロダクションから発展させ、「プロレス団体」として展開していくことを北斗が宣言し、2007年2月11日に旗揚げ興行を行うことを発表した。また、グレコローマン96キロ級学生王者である拓大の山口竜志が、健介の盟友である馳浩の紹介で入団することも正式に発表された(山口は怪我により、2008年5月15日に引退)。
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