健介ファミリーの誕生
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「ダイヤモンド・リング (プロレス)」の記事における「健介ファミリーの誕生」の解説
2003年12月、佐々木健介はWJプロレスを退団。WJの旗揚げのために用意した多額の支度金が返って来ず、無一文状態となっていたが、天龍源一郎のアドバイスにより妻の北斗晶を健介のマネージャーとして、フリーのプロレスラーとして活動を開始。 当時の男性プロレスラー史上最年少としてWJからデビューした中嶋勝彦は、3ヶ月間健介宅に居候しながら入団先を探すことになっていたが、本人が健介のもとでの修行継続を希望したため、2004年に健介、中嶋、北斗という3人のユニットを結成し、通称「健介ファミリー」が誕生した。健介と北斗は夫婦仲が良いことで知られていた上、中嶋の年齢が健介夫婦と大きく離れていたこと、中嶋が母子家庭で育ったことなどもあり、このユニットは「家族」のギミック(北斗が「鬼嫁」、健介が「父親」、中嶋が「義理の息子」)を採用。「健介ファミリー」として、活動の舞台もバラエティー番組などに広がっていった。
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