俺はぜったい!プレスリー
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| 「俺はぜったい!プレスリー」 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 吉幾三 の シングル | ||||
| A面 | 俺はぜったい!プレスリー | |||
| B面 | 青春荘 | |||
| リリース | ||||
| ジャンル | 歌謡曲 | |||
| レーベル | クラウンレコード | |||
| 作詞・作曲 | 吉幾三 | |||
| チャート最高順位 | ||||
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| 吉幾三 シングル 年表 | ||||
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「俺はぜったい!プレスリー」(おれはぜったい プレスリー)は、歌手・吉幾三が1977年(昭和52年)11月25日に発表した楽曲である。リリース翌年には、本作をベースとした映画が二本『俺は田舎のプレスリー』『俺は上野のプレスリー』のタイトルで公開された。これら映画についても説明する。
概要
「吉幾三」名義でリリースされた初のシングルであり、作詞・作曲とも本人が手がけている。
アイドル歌手「山岡英二」としてスタートしたがまったく売れず、飲み屋を流しとして歌うなどして何とか生活している状況の中で生まれた。歌のコミカルさをレコード会社のスタッフから見出され、レコーディングをおこなった。吉いわく、エルヴィス・プレスリーの楽曲は全く知らなかったが、この年にエルヴィスが亡くなったニュースを聞き、彼の名前を冠した歌を作ったという。また、「吉幾三」の名前については、「気が付いたらレコード会社の人に『吉幾三』と付けられていた」とこのこと[1]。
しかし、この曲がリリースされた直後から、当時の吉の所属事務所に「田舎をバカにして」「青森県をバカにするな」「吉幾三を出せ」など苦情の電話が殺到。更には「世界のプレスリーをバカにした」などと日本のエルヴィス・プレスリーの後援会からも苦情が来たという。吉は自ら電話を取った時に「俺は『プレシリー』と歌っているから、“ス”と“シ”の違いですよ」などと言い訳したという[2]。
歌の途中から入るリズム音は木魚であり、レコーディングスタッフが叩いている。
1977年10月から1978年3月まで名古屋テレビ・テレビ朝日系列で放送されたテレビアニメ『無敵超人ザンボット3』の第18話でガイゾックの戦闘司令官キラーザ・ブッチャー(キラー・ザ・ブッチャー)がこの曲の替え歌を歌うシーンが存在する。
収録曲
映画
俺は田舎のプレスリー
| 俺は田舎のプレスリー | |
|---|---|
| 監督 | 満友敬司 |
| 脚本 |
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| 原案 | 山田洋次 |
| 製作 | 沢村国男 |
| 出演者 | |
| 音楽 | 渋谷毅 |
| 撮影 | 竹村博 |
| 編集 | 太田和夫 |
| 製作会社 | 松竹 |
| 配給 | 松竹 |
| 公開 | |
| 上映時間 | 85分 |
| 製作国 | |
| 言語 | 日本語 |
| 次作 | 俺は上野のプレスリー |
「男はつらいよシリーズ」第21作『男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく』との併映作[5]。『俺は田舎のプレスリー』のタイトルで、1978年8月12日に公開された[6][7]。原案は山田洋次が担当した[7]。
松竹はこの年春に公開した力作が不振続きで、上映期間の繰り上げが相次いだが[5]、やっぱりその穴を埋めるのは寅さん[5]。寅さん一本だけでも充分なのだが、「寅さんシリーズは併映作がくだらん」という風評もあり[5]、やはり松竹は喜劇しかないと、吉幾三人気を頂き、異色ものの強力な喜劇二本で勝負と相成った[5]。松竹としては何かと突っかかってくる東映の「トラック野郎シリーズ」がやや下降線をたどっていたことから[5]、東映をぶっ潰し、独走態勢を固めたいという思惑があった[5]。
舞台は青森県五所川原市で[5]、主人公を勝野洋、性別適合手術により女性となった人物(主人公の兄)をカルーセル麻紀が演じている[7]。吉幾三自身も主人公の友人役でカメオ出演した[5][7]。
「プレスリーシリーズ」第二弾として同じ年に『俺は上野のプレスリー』が製作されている[8][9]。
キャスト
- 大山保 - 勝野洋
- 阿久津百合子 - 鮎川いづみ
- 大山真美男 - カルーセル麻紀
- 竹彦 - 吉幾三
- 篠田先生 - 橋本功
- 座長 - 吉田義夫
- 駐在 - 山谷初男
- 米子 - 野村昭子
- 満枝 - 高田敏江
- 福士絹代 - 茅島成美
- 大山吉兵衛 - 嵐寛寿郎
- 大山吉蔵 - ハナ肇
- 吉田日出子、武知杜代子、あき竹城、粟津號、岡本茉利 ほか
スタッフ
- 原案:山田洋次
- 製作:沢村国男
- 監督:満友敬司
- 脚本:朝間義隆、梶浦政男、植村信吉
- 撮影:竹村博
- 美術:重田重盛
- 音楽:渋谷毅
- 録音:小林英男
- 調音:小尾幸魚
- 照明:佐久間丈彦
- 編集:太田和夫
- スチール:赤井溥且
- 監督助手:植村信吉
- 装置:荒井新一
- 装飾:磯崎昇
- 衣裳:松竹衣裳
- 現像:東洋現像所
- 進行:副田稔
- 製作主任:吉岡博史
- 協力:五所川原市、五所川原市消防団、金木町嘉瀬婦人会、金木町嘉瀬奴踊り保存会、金木町荒馬保存会
挿入歌
- 吉幾三「俺はぜったい!プレスリー」
俺は上野のプレスリー
| 俺は上野のプレスリー | |
|---|---|
| 監督 | 大嶺俊順 |
| 脚本 | 高橋正圀 |
| 原案 | 山田洋次 |
| 製作 | 沢村国男 |
| ナレーター | 伊奈かっぺい |
| 出演者 | |
| 撮影 | 川又昂 |
| 編集 | 杉原よ志 |
| 製作会社 | 松竹 |
| 配給 | 松竹 |
| 公開 | |
| 上映時間 | 88分 |
| 製作国 | |
| 言語 | 日本語 |
| 前作 | 俺は田舎のプレスリー |
「プレスリーシリーズ」第二弾として製作された[8][9]。1979年の正月映画「男はつらいよシリーズ」第22作『男はつらいよ 噂の寅次郎』との併映作[9]。津軽をあとに東京に出た二人の青年の懸命に生きる姿を描く[8]。「新人監督登場の場として提供する予定もあるシリーズ」と公表されていたが[9]、本作の監督はベテラン大嶺俊順であった[9]。吉幾三と同じ青森出身の伊奈かっぺいが津軽弁交じりのナレーションを務めている[10]。吉を主演に立てていることから[9]、吉で「寅さん」のような新シリーズの構想があったのかも知れないが、第三弾は製作されなかった。しかし、松竹は1985年にまた吉のヒット曲「俺ら東京さ行ぐだ」をモチーフに『俺ら東京さ行ぐだ』を製作している。
脚注
- ^ “デビュー51周年!吉幾三インタビュー「『俺はぜったい!プレスリー』は即興で生まれた」「最初は“吉幾造”だった」驚きの新事実”. 日刊大衆. 双葉社. 12 September 2023. 2023年9月12日閲覧.
- ^ “吉幾三 現在の芸名での再デビュー曲が大ヒットも「嫌がらせの電話が」苦情殺到 「後援会からも」に返答は”. スポーツニッポン (2025年10月23日). 2025年10月24日閲覧。
- ^ “【吉幾三 芸能生活45周年】もうひとつ「俺はぜったい!プレスリー」ネタを!今はもう「吉幾三」となっていますが、当時はこのシングルのみ作詞作曲の名前は「やまだあつし」と「山鉄平」というペンネームになっていました。”. 吉プロモーション公式Twitter (2017年5月11日). 2020年3月2日閲覧。
- ^ “大人の歌ネット:インタビュー「吉 幾三」 - 歌ネット”. www.uta-net.com. 2020年3月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 「田舎のプレスリーで逆転を狙う松竹」『サンデー毎日』1978年6月18日号、毎日新聞社、130–131頁。
- ^ 【作品データベース】 俺は田舎のプレスリー
- ^ a b c d 俺は田舎のプレスリー - Movie Walker
- ^ a b c 【作品データベース】 俺は上野のプレスリー
- ^ a b c d e f 「邦画封切情報『俺は上野のプレスリー』(松竹)」『シティロード』1979年2月号、エコー企画、28頁。
- ^ 大西史晃・有近隆(青森総局) (2010年12月1日). “鉄路よ運べ あの東京へ”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). オリジナルの2010年12月8日時点におけるアーカイブ。 2023年1月7日閲覧。
外部リンク
- 俺はぜったい!プレスリーのページへのリンク