保健物理学への貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 03:39 UTC 版)
ビキニ事件を受けて、西脇は「欧米で発展している保健物理学に日本においても力を入れるべきである」と主張した。1961年にアメリカ保健物理学会(英語版)のカール・Z・モーガン(英語版)からの要請を受け、西脇を含む8名の準備委員によって日本保健物理協議会(1974年に日本保健物理学会に改名)が設立された。西脇は日本保健物理協議会で会計委員、副委員長兼企画専門委員長、委員長を歴任し、1985年には日本保健物理学会名誉会員に選ばれている。 また、国際放射線防護学会(英語版) (IRPA)の設立のために活動し、1966年に初代副会長に選出された。その後も1970年から1977年までと1985年から1992年まで理事を務めた。
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