侵略艦隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/03 09:28 UTC 版)
1781年6月25日、ギシェン提督の指揮する約20隻の戦闘艦からなるフランス艦隊がブレスト港を出て沿岸偵察を行ったが、偶々地中海に入ることになった。このことでメノルカ島には侵略艦隊に対する備えを増やさせることになったが、イギリス軍を欺すために目標に近付くまで同盟スペインの艦隊とは合流しなかった。スペインの侵略艦隊は51隻の兵員輸送船、18隻の補給船、3隻の病院船、3隻の食料運搬船、2隻の砲艦、1隻の消防艇および13隻の武装護衛艦であり、1781年7月23日にカディスを出港し、最初は目的地がアメリカであるかのように西に向かい、夜に転換して7月25日にジブラルタル下を通過した。地中海では逆風に遭い、7月29日までに船団が分裂を始め、カルタヘナに近いラサビダ入江で風よけをする必要があった。その後数日の間にスペイン艦隊はフランス艦隊の戦闘艦と慎重に合流した。合流した艦隊は8月5日にラサビダを出発し、24日にはアリカンテが見える所まで到着し、17日夜にはスペイン海岸を離れてフォルメンテラ島に向かった。8月18日にマヨルカ島の南、カブレラの小島を過ぎるとき、パルマから来た別の戦闘艦4隻が合流した。その夜風向きが南東の風となり、艦隊はマヨルカ島に吹き流されて座礁しないよう注意する必要があったが、翌朝にはメノルカ島が視界に入った。
※この「侵略艦隊」の解説は、「メノルカ島侵攻」の解説の一部です。
「侵略艦隊」を含む「メノルカ島侵攻」の記事については、「メノルカ島侵攻」の概要を参照ください。
- 侵略艦隊のページへのリンク