体操選手として活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/21 07:14 UTC 版)
朝日生命体操クラブに所属し、1984年に小学校6年生で全日本体操競技選手権で2位に入り注目された。1985年に全日本中学選手権、全日本ジュニア選手権、NHK杯体操選手権で優勝、1986年には全日本体操選手権で当時史上最年少で初優勝した。 日本女子体育大学附属二階堂高等学校進学後(体操選手としては朝日生命クラブに所属)の1987年には全日本選手権の個人総合で2連覇し、世界体操選手権に日本代表として初出場した。1988年からはクラブの後輩の小菅麻里に全日本選手権での個人総合5連覇を許したが、同年のソウルオリンピックと1989年の世界選手権には同期の瀬尾京子、真田マキ子等と共に日本代表選手として出場した。 1991年に、編入していた藤村女子高等学校卒業。日本体育大学体育学部に進学し、腰痛等と闘いながら全日本学生選手権(インカレ)で団体優勝4回(全学年で優勝)、個人総合優勝2回等と活躍した。1993年にはユニバーシアードの団体で銅メダルを獲得した。 大学卒業後の1995年にはふくしま国体で瀬尾と共に福島県代表として団体優勝を果たし、現役を引退。その後、プロ野球の読売ジャイアンツのマスコットガール(ファイアーガールズ)として活動した。
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