住宅地開発とバス路線の開設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:29 UTC 版)
「奈良交通北大和営業所」の記事における「住宅地開発とバス路線の開設」の解説
奈良県北西部では戦前から住宅地開発の機運が高まっていた。この中で帝塚山学園の設立と、1942年の学園前駅の設置が行われている。しかし、戦前に行われたのは菖蒲池駅南側の開発程度に留まった。 戦後、近畿日本鉄道の主導により住宅地開発が本格化した。例えば、1960年までに学園前駅付近の学園南、学園北、百楽園、公団学園前団地、登美ヶ丘の住宅地が誕生している。当時、学園前では宅地開発の波が学園前駅の北方、南方へ広がりつつあった。 1962年、近畿日本鉄道自動車局により学園前駅と住宅地を結ぶバス路線が、西郊住宅 - 学園前駅 - 登美ヶ丘(現、登美ヶ丘一丁目)間で運行を開始した。住民は徒歩での移動に苦労が多いため、住宅地の開発を主導した近畿日本鉄道に対してバスの運行を要請していたのである。奈良県北西部は丘陵地帯であるがため、開発された住宅地には坂が付き物であった。例えば、1960年当時、学園前駅付近の住宅地は駅から1.5km圏内に所在したが、駅に向かう道は坂道で、特に雨天の徒歩移動は未舗装の道がぬかるむため往生したという。雨天時は長靴を履いて徒歩で学園前駅に向かい、駅に長靴を預けて、別途持参した靴に履き替えて通勤したという話が残っている。 1年後の1963年、西郊住宅 - 学園前駅 - 登美ヶ丘間のバス路線は近畿日本鉄道から奈良交通に移管され、学園前駅 - 西郊住宅間、学園前駅 - 大和文華館 - 西郊住宅間、学園前駅 - 登美ヶ丘三丁目間の3路線に再編された。
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