会議開催の要請
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/20 03:54 UTC 版)
原料不足は軍部内にも陸海空軍間における資源収奪競争をもたらし、自らの権力とヒトラーへの距離によって空軍に有利な裁定を行うゲーリングへの不満が高まりつつあった。軍部内で最も不利な立場にあったのが、規模が小さく政治的な影響力の小さい海軍であった。海軍総司令官エーリヒ・レーダー提督は現状の2倍の鉄鋼割り当てが必要であると考えた。レーダーは英独海軍協定(英語版)による対英35%の海軍力、ヒトラーの命じた強力な戦艦製造、対英戦に耐えうる海軍力の増強を考慮していた。 1937年10月15日、レーダーは国防大臣ヴェルナー・フォン・ブロンベルク元帥に対し、建艦と設備拡大を断念するか、もしくは海軍への鉄鋼割り当てを2倍にするかという最後通牒を行った。ブロンベルクもかねてからゲーリングに不信感を持っており、さらに陸海軍のバランスを取るためにもレーダーと協調する必要性を感じていた。ナチ党の有力者であり、さらにブロンベルクと同格の大臣でもあったゲーリングを押さえられるのはヒトラーしかおらず、「総統の決断を仰ぐ」必要があった。こうしてブロンベルクは原料割当問題の最終的解決のために、会議の開催を要請した。ブロンベルクは陸海空軍に原料問題に関する専門将校を準備しておくよう命令し、総統官邸の次の間に控えさせておいた。
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