伊予鉄道の設立とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 伊予鉄道の設立の意味・解説 

伊予鉄道の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 02:04 UTC 版)

小林信近」の記事における「伊予鉄道の設立」の解説

1883-1884年(明治16-17年)ころ小林工部省神戸鉄道局用材調達請負っており、大坂滞在している間阪神間鉄道旅行経験していた。小林松山道路整備の遅れを鉄道敷設で補うよう意識していたが、当時四国には官設鉄道建設されてなく思案していた。そのなかで内務省土木局臨時報告』を入手した。この本にヨーロッパ小鉄道を紹介しており土木工事用の簡易な軌道ドコービル)が紹介されていた。小林詳細を知るため外国人技師訪ね指導受けて松山鉄道建設することを決意した1885年明治18年6月小林鉄道局鉄道敷設出願した。ところが「聴届ケ難シ」として却下されたため、小林上京して鉄道局長官井上勝技官松本荘一郎直談判することになった当時私設鉄道日本鉄道阪堺鉄道の二社のみで、鉄道局許可するつもりなどなかった。しかし小林熱意により試みに鉄道敷設許可されることになったという。 1900年明治33年)に南予鉄道道後鉄道合併したが、小林は両鉄道社長であった古畑寅造に社長の座を渡し会社を去ることになった

※この「伊予鉄道の設立」の解説は、「小林信近」の解説の一部です。
「伊予鉄道の設立」を含む「小林信近」の記事については、「小林信近」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「伊予鉄道の設立」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「伊予鉄道の設立」の関連用語

伊予鉄道の設立のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



伊予鉄道の設立のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの小林信近 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS