道後鉄道とは? わかりやすく解説

道後鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 20:22 UTC 版)

道後鉄道
種類 株式会社
本社所在地 日本
愛媛県温泉郡道後湯之町[1]
設立 1895年(明治28年)8月[1]
業種 鉄軌道業
代表者 社長 古畑寅造[1]
資本金 60,000円[1]
特記事項:上記データは1899年(明治32年)現在[1]
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道後鉄道(どうごてつどう)は、かつて愛媛県に存在した鉄道会社。松山市内と道後温泉を結ぶ路線を開業し、まもなく伊予鉄道へ合併された。

概要

1888年明治21年)の伊予鉄道開業にて、三津浜港から松山市内への旅客輸送の便が図られるようになったが、それでもなお道後温泉までは別の手段で出向く必要があった。また、折から軽便鉄道敷設が流行しだした時代でもあり、伊佐庭如矢などの道後関連有力者によって、主として道後温泉への温泉浴客を輸送する目的で、1893年(明治26年)道後鉄道[2]が設立された。その後1894年(明治27年)に鉄道免許状が下付され[3]1895年(明治28年)、一番町-道後間ならびに道後-三津口間を762mm軌間で開業した。

その後は乗客は順調だったものの、営業成績は芳しくなかったようで、主立った株主が大阪資本になった後、1896年(明治29年)第七十九銀行頭取の古畑寅造[4]が社長に就任した。その後古畑は南予鉄道の社長にも就任したのち、伊予鉄道の当時の監査役であった井上要の音頭により、伊予鉄道と道後鉄道・南予鉄道の3社が合併することとなった。

結果として道後鉄道は、1900年(明治33年)に開業からわずか5年で伊予鉄道に吸収合併され、路線は同社の道後線となった。その後、競合路線であった松山電気軌道までも伊予鉄道と合併したことや、城北線の開業により大半の区間が廃止され、現在では一部区間が城北線として残存するのみに留まっている[5]。廃止区間の一部区間は生活道路となっているところもある[6]

歴史

駅一覧

松山駅 - 御宝町駅* - 一万駅* - 道後駅 - 千秋寺前駅* - 木屋町駅 - 三津口駅* - 古町駅

  • *印は伊予鉄道合併後に開業。
  • 松山駅は、伊予鉄道合併後は一番町駅を称した。

輸送・収支実績

年度 乗客(人) 貨物量(斤) 総益金(円) 総損金(円) 差引純益金(円)
明治28年下半期 270,494 69,346 4,020.419 3,461.323 559.096
明治29年上半期 353,661 143,374 5,289.848 4,529.504 760.344
明治29年下半期 388,561 165,417 5,940.825 4,023.104 1,917.721
明治30年上半期 356,441 131,316 6,162.700 3,745.281 2,417.419
明治30年下半期 332,365 193,566 5,713.047 3,925.400 1,787.647
明治31年上半期 329,057 151,477 6,463.831 4,058.231 2,405.600
明治31年下半期 275,267 186,359 5,945.654 4,655.241 1,290.413
明治32年上半期 328,314 206,489 6,966.212 4,501.211 2,465.001
明治32年下半期 349,120 207,698 7,229.374 4,336.023 2,893.351
明治33年上半期 239,823 136,130 5,082.364 3,807.697 1,274.667
  • 『我社の三十年』より

車両

車両数の推移

年度 機関車 客車 貨車
1896 2 6 2
1897 2 6 2
1898 2 9 2
1899 2 9 2
1900 2 9 2

脚注

  1. ^ a b c d e 『日本全国諸会社役員録. 明治32年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治29年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ a b 「私設鉄道免許状下付」『官報』1894年1月31日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 『財界名士失敗談. 下巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 廃止鉄道ノート 松山電気軌道 (1920年の 「伊予鉄道 電気」 を参照)
  6. ^ 路面ライダー / 第6話「廃線跡を探せ!」の巻(4) - 伊予鉄道
  7. ^ 『鉄道局年報. 明治28年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 『五十年史』伊予鉄道、1936年、附録p.39(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 「私設鉄道株式会社免許状下付」『官報』1900年6月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 「私設鉄道株式会社任意解散」『官報』1900年6月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ a b c 『坊ちゃん列車と伊予鉄道の歩み』伊予鉄道、1977年。

参考文献

  • 伊予鉄道株式会社『伊予鉄道百年史』1987年、pp. 42-45頁。 
  • 大野鐵、速水純『伊予鉄が走る街 今昔』JTBパブリッシング、2006年。ISBN 4-533-06410-8 
  • 伊予鉄道電気株式会社『我社の三十年』1919年(国立国会図書館デジタルコレクション)(復刻日本経済評論社 明治期鉄道史資料第2集第3巻)

関連項目





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