人間動物園の残滓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 19:01 UTC 版)
人間の動物園の概念は、完全にはなくならなかった。コンゴの村という展示は、1958年のブリュッセル万国博覧会でも行われた。 1994年4月、ナントの近郊ポートサンペールのアフリカ風サファリに象牙海岸の村が作られた。 2005年7月、ドイツのアウクスブルクの動物園にアフリカ村落が作られた。2005年8月、志願制であるがロンドン動物園においてイチジクの葉を着ている人間を展示した。2007年、オーストラリアのアデレード動物園は、教育運動の一環として、昼間類人猿厩舎内に収容されたいと申し込んだ人々から構成される人間動物園の展示を行った。住民はいくつかのエクササイズに参加し、新しい類人猿施設への寄付を客に求めた。またメルボルン動物園では人間の展示はないが、ポリネシアやインドネシアやタイなどの「民族」としての建造物が展示されており、これも博物学と民族学とが重なり合っていた分類の痕跡をしめすものである。2007年に、ブラザビル(コンゴ)で行われたパンアフリカ音楽祭において、ピグミーのパフォーマーは動物園を宿舎として提供され、物議をかもした。
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