交響曲第3番の作曲と標題
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「交響曲第3番 (マーラー)」の記事における「交響曲第3番の作曲と標題」の解説
交響曲第3番は、1895年の夏に第2楽章から第6楽章まで作曲され、翌1896年に第1楽章が書き上げられ完成した。当初構想されていた第7楽章は、すでに1892年に独立した歌曲として作曲され、初演もされていたが、最終的に第3番には採用されず、のちに交響曲第4番の終楽章として使用されることになる。 マーラーは1896年6月の終わりには第7楽章を削除することを決め、8月6日付けで批評家マルシャルクに宛てた手紙で、「僕の作品が完了した」と述べ、手紙の中に標題を書いている。標題はそれまでにいくつか変遷をたどっているが、このときマーラーが手紙に示した標題が最終的なものと考えられ、次のようなものである。 第一部 序奏 「牧神(パン)が目覚める」 第1楽章 「夏が行進してくる(バッカスの行進)」 第二部 第2楽章 「野原の花々が私に語ること」 第3楽章 「森の動物たちが私に語ること」 第4楽章 「夜が私に語ること」 第5楽章 「天使たちが私に語ること」 第6楽章 「愛が私に語ること」 しかし、これらの標題は、後に誤解を受けるとして、マーラー自身の手により破棄されたため楽譜には書かれていない。 指揮者のブルーノ・ワルターは、1894年から1896年までハンブルク歌劇場でマーラーの助手をつとめていたが、1896年の夏マーラーに招かれてシュタインバッハを訪れた。ワルターの回想によれば、このとき、汽船で到着したワルターが険しく聳(そび)えるレンゲベルクの岩山に眼をとめて感嘆していると、迎えにきたマーラーが「もう眺めるに及ばないよ。あれらは全部曲にしてしまったから。」と冗談ぽく語ったという。休暇の終わりには、ワルターは新しい交響曲をマーラーのピアノ演奏で聴いている。
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