交子発行前の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:40 UTC 版)
宋より前、唐代に堰坊というものがあり、銭・金銀・布帛などを預かり、預り手形を発行していた。この手形は他の地域において現物と同じ価値を持って支払いに使用することが出来、流通していた。堰坊は後に堕落して無頼者の集まる賭博場のごときものとなったが、手形発行の方式は全国的に広がり、交子・会子・関子などの手形が発行され、交子の発行所は交子鋪と呼ばれた。 五代十国時代においては全中国的に商業活動が活発化しており、主要な貨幣である銅銭(銅貨)の需要は非常に高かった。しかし四川地方では銅の産出量が少なかったので、当時四川を支配していた前蜀および後蜀政権では産出量の多かった鉄を使用して鉄銭を発行していた。宋朝に代わった後も全国的に銅不足の状態が続き、しかも西方に西夏などの新興の非漢民族政権が成立して四川がその勢力圏に近接するようになったため、四川では引き続いて鉄銭の使用が強制された。
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