井口と内村鑑三
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井口が敬愛した人物に、明治から昭和初期の思想界に多大な影響を与えたキリスト教徒内村鑑三がいる。内村は何度も義塾を訪ね講演などを行い、井口に深い理解と高い評価を送った。井口を支えたのは、経済的には相馬愛蔵であり、精神的には内村鑑三であった。 その内村が1901年(明治34年)、研成義塾を訪ねて次のように記している。 南安曇郡東穂高村の地に研成義塾なる小さな私塾がある。若し之を慶應義塾とか早稲田専門学校とか言ふやうな私塾に較べて見たならば、実に見る影もないものである。其建物と言へば二間に四間の板屋根葺きの教場一つと八畳二間の部屋がある許りである。然し此の小義塾の成立を聞いて、余は有明山の巍々たる頂を望んだ時よりも嬉しかった。此の小塾を開いた意志は蝶ケ岳の花崗岩よりも硬いものであった。亦之を維持する精神は万水よりも清いものである。-以下略」 — 「入信日記」『万朝報』
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