五辻治仲とは? わかりやすく解説

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五辻治仲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/23 05:02 UTC 版)

五辻 治仲(いつつじ はるなか、1867年12月8日(慶応3年11月13日[1])- 1932年昭和7年)10月16日[1][2])は、明治から昭和期の政治家実業家華族貴族院子爵議員

経歴

山城国京都大膳大夫五辻安仲の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1906年(明治39年)3月22日、子爵を襲爵した[5]

1894年(明治27年)7月、学習院大学科を卒業[2][3][4]1911年(明治44年)臨時治水調査会委員に就任[2]。その他、大国銀行取締役、高野山電気鉄道監査役などを務めた[4]

1911年7月10日、貴族院子爵議員に選出され[6][7]研究会に所属して活動し[2]、死去するまで4期在任した[2][8]

栄典

親族

  • 妻 五辻トラ(石羽秀定女、岡本重威養女)[1]
  • 長男 五辻隆仲[1][4]
  • 孫 五辻規仲(隆仲長男、子爵)・金光公仲(隆仲二男、金光家邦養子)[1][4]

脚注

  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成 上巻』157-158頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』36頁。
  3. ^ a b 『華族畫報 下』906頁。
  4. ^ a b c d e 『人事興信録 第9版』イ43頁。
  5. ^ 『官報』第6816号、明治39年3月23日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、20頁。
  7. ^ 『官報』第8427号、明治44年7月25日。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、39頁。
  9. ^ 『官報』第3893号「叙任及辞令」1896年6月22日。
  10. ^ 『官報』第2614号「叙任及辞令」1921年4月21日。
  11. ^ 『官報』第1016号「叙任及辞令」1930年5月22日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』、1931年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
  • 杉謙二編『華族畫報 下』吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代
五辻安仲
子爵
五辻家第2代
1906年 - 1932年
次代
五辻規仲



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