二見へ移転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 16:45 UTC 版)
水野は約2億4000万円超の私費を投じて約800m2の展示スペースを持つ新美術館を建設し、鉄工所を閉鎖して美術館経営に専念する意志を固めた。移転前には、当時の二見町長である中村宮雄が数度に渡って名古屋のマコンデ美術館を訪ね、最終的には二見町が協力して、1991年(平成3年)9月26日に新築移転、開館した。 二見に移転後も、来館者は1日平均30人ほどと採算ラインの3分の1程度の厳しい状況であった。1996年(平成8年)4月からは作品の造形美を楽しんでもらおうと手で触れて鑑賞することができるようにした。同年5月には、それを知った埼玉県立盲学校(現・埼玉県立特別支援学校塙保己一学園)は伊勢志摩への修学旅行の行程にマコンデ美術館を入れ、生徒らは作品に触れたりマリンバを演奏したりして楽しんだ。 2010年(平成22年)12月1日から12月23日までの間、新伊勢市の市町村合併5周年を記念とした観光施設の市民向け無料開放に参加した。この期間中、1,169人が訪れ、年間の来館者は前年を上回った。
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