事実上、日本最初のスプリンター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/12 23:08 UTC 版)
「吉田実 (競輪選手)」の記事における「事実上、日本最初のスプリンター」の解説
競輪創生期は3倍強程度のギアで競走しており、吉田の全盛期には倍数が3.50台へと重くなっていったが、吉田はその主流ギアに相反し3.20から3.30を中心としたギアを使用しており、多くの選手たちは、よくあんな軽いギアでレースができるものだ、と言っていたほどであった。 しかし少年時代から自転車で世界に伍して戦いたいという思いをもっていた吉田にとって、世界一流のスプリンターは軽いギアで戦うことを常としており、また吉田自身、長い距離をもがけないと述べていることから、自身にとって最善のギアだったということがいえる。 また吉田は自転車競技にも力を入れていて、世界自転車選手権のスプリント種目にも3回出場。いずれも予選落ちに終わったが、吉田の考え方は後に、平間誠記(日本プロ選手史上初の入賞)や阿部良二(同史上初のメダル獲得)にも受け継がれ、ひいては中野浩一の同大会プロ・スプリント10連覇へと繋がっていくことを考えると、吉田の存在は成績以上に大きなものを物語っているといえる。
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