事件の拡大と収束
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 18:50 UTC 版)
午前3時ころに、琉球警察は第三号召集(全警察官1200人の最大動員)を発令、アメリカMPも完全武装の兵員配備を要請したが、暴動発生現場の制圧は不可能と判断しいったん周辺へ退いた。最終的に警察官は約500人、MP・沖縄人ガード(警備員)約300人、米軍武装兵約400人が動員された。米民政府は午前3時30分、コザ市全域に24時間の「コンディション・グリーン・ワン」を発令した。 琉球政府では、屋良朝苗行政主席が東京出張で不在のため、知念朝功副主席が午前5時55分に現地に到着して事態の収拾を指揮した。アメリカ軍が群衆に催涙弾を使用していることを知るとフィアリー民政官に電話をかけて「催涙ガスをやめろ、事態がかえって悪化する」と怒鳴りつけた。 警察は宣伝カーを繰り出して群集に帰宅を呼びかけ、午前7時30分までに暴動は自然収束した。結果、車両75台以上が焼かれ、アメリカ軍人40人、沖縄人ガード5人、アメリカ軍属16人、地元住民14人、容疑者7人、警察官6人が負傷したが、死者はなく、暴動につきものの民家・商店からの略奪行為は発生していない。事件上特徴的なのは、政治党派の組織的な指導指揮がなく自然発生的であったことである。 事件時、琉球警察は逮捕した住民に対して騒乱罪適用を検討していたものの、米国民政府側は適用に消極的であったことが後の報告書で明らかとなっている。
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