争いと繁栄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/20 18:52 UTC 版)
「マドゥライ・ナーヤカ朝」の記事における「争いと繁栄」の解説
ムットゥ・ヴィーラッパ・ナーヤカの息子ティルマライ・ナーヤカ (在位1623 - 1659)に治世には、1649年にヴィジャヤナガル王国が滅亡し、マドゥライ・ナーヤカ朝は、ほかのナーヤカ朝やマイソール王国と争っている。 なお、この王朝は芸術の点では突出しており、16世紀から多数のヒンドゥー教寺院が建設され、16世紀から17世紀にはかけては、かの有名なインド最大規模のヒンドゥー教の寺院であるミーナークシ寺院が建設された。 16世紀中頃のヴィシュワナート・ナーヤカの時代から、17世紀の王ティルマライ・ナーヤカの治世にかけてまで、首都マドゥライにヒンドゥーのシヴァ神を祭る大寺院、今日でもマドゥライの顔と名高いミーナークシ寺院が建設された。 この寺院はシヴァ神妃であるミーナークシを祀り、インド最大規模のヒンドゥー寺院であるとともに、寺院の中央に存在する巨大な「黄金池」や「千本柱広間」という多数の仏像が置かれた大広間を持ち、後期ドラヴィダ型建築の典型的なものとして知られる。 また、ティルマライ・ナーヤカはヒンドゥー教の手厚い保護者であるとともに、多数のヒンドゥー寺院を建設したことで知られ、1636年、首都マドゥライにはティルマライ・ナーヤカ宮殿と呼ばれる宮殿も造営した。 1659年ティルマライ・ナーヤカの死後、息子のムットゥ・アラカードリ・ナーヤカ(在位1659 - 1662)が後を継いだが、3年後の1662年に死亡し、 その幼少の息子チョッカナータ・ナーヤカ(在位1662 - 1682)が新たな王となった。
※この「争いと繁栄」の解説は、「マドゥライ・ナーヤカ朝」の解説の一部です。
「争いと繁栄」を含む「マドゥライ・ナーヤカ朝」の記事については、「マドゥライ・ナーヤカ朝」の概要を参照ください。
- 争いと繁栄のページへのリンク