中谷勇介とは? わかりやすく解説

中谷勇介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/28 15:15 UTC 版)

中谷 勇介
名前
カタカナ ナカタニ ユウスケ
ラテン文字 NAKATANI Yusuke
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1978-09-22) 1978年9月22日(46歳)
出身地 京都府宇治市
身長 178cm
体重 67kg
選手情報
ポジション DFMF
利き足 左足
ユース
1994-1996 奈良育英高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-1999 名古屋グランパスエイト 39 (0)
1999 浦和レッズ 1 (0)
2000 川崎フロンターレ 10 (1)
2001-2005 名古屋グランパスエイト 84 (2)
2006-2007 柏レイソル 4 (0)
2007-2010 京都サンガF.C. 63 (2)
2011-2012 東京ヴェルディ 36 (1)
2013-2015 コーンケン
通算 237 (6)
代表歴
1995  日本U-17 3 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

中谷 勇介(なかたに ゆうすけ、1978年9月22日 - )は、京都府宇治市出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(サイドバック)、ミッドフィールダー。夫人はファッションモデルのエイミー・ハードウィック。

人物

中学時代に駅伝で全国大会に出場した経験がある。

高校時代の2年先輩に楢﨑正剛、同級生に矢部次郎東幸一がおり、U-17日本代表では小野伸二高原直泰稲本潤一とチームメイトになった。

高校卒業後、1997年に名古屋グランパスエイトに入団。1年目はサテライトで過ごすが、2年目からレギュラーに定着。3年目に浦和レッズにレンタル移籍するも、怪我もあり1試合の出場にとどまる。

2000年には川崎フロンターレに完全移籍。クラブがJ2降格になり、わずか1年で古巣名古屋に完全移籍で復帰。復帰後は主力選手として活躍。チームメイトだったマルケスが名古屋を退団する時に、「彼をブラジルに連れて行きたい」と評した。

キャリア末期にはタイのコーンケンFCに在籍していた。現役引退後、古巣名古屋グランパスエイトのスクールコーチとして就任している。

エピソード

  • 3日前に母を亡くし実家で葬儀が行われる中、京都サンガのJ1昇格決定試合(2007年12月)に出場した。普段以上に厳しい表情でピッチを走り回りチームを奮い立たせ「強い心で戦ってくれた」「悲しみをこらえ、プロとして素晴らしいプレーを見せてくれた」とチームメイトから称えられた[1]
  • 名古屋在籍時、キャンプ中トンビに携帯を奪われたという珍エピソードを持つ。
  • 2008年は、守備的な番号である背番号4を背負っていたが、本人が攻撃的な印象を持ってプレーをしたいということから、チームメイトのDF水本裕貴と交換という形で背番号8をつけたと言われていたが本人によると勝手に番号が変わっていた。おそらく水本裕貴が4番を欲しがりそれに弾かれる形で8番になった。

所属クラブ

ユース経歴
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997 名古屋 27 J 0 0 0 0 0 0 0 0
1998 26 0 4 0 3 0 33 0
1999 J1 13 0 3 0 - 16 0
浦和 37 1 0 0 0 0 0 1 0
2000 川崎 22 10 1 1 0 0 0 11 1
2001 名古屋 26 14 0 2 0 1 0 17 0
2002 17 11 1 4 1 0 0 15 2
2003 6 14 1 2 0 1 0 17 1
2004 25 0 4 1 2 0 31 1
2005 20 0 4 0 1 0 25 0
2006 J2 4 0 - 1 0 5 0
2007 J1 0 0 0 0 - 0 0
京都 36 J2 11 1 - 0 0 11 1
2008 4 J1 25 1 3 0 1 0 29 1
2009 8 22 0 1 0 2 0 25 0
2010 5 0 0 0 0 0 5 0
2011 東京V 37 J2 16 1 - 2 0 18 1
2012 6 20 0 - 1 0 22 0
タイ リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2013 コーンケン 11 ディヴィジョン1 -
通算 日本 J1 186 4 28 2 11 0 225 6
日本 J2 51 2 - 4 0 55 2
タイ ディヴィジョン1 -
総通算 227 6 28 2 15 0 280 8

国際試合

その他の公式戦

代表歴

指導歴

  • 2016年 名古屋グランパス スクールコーチ
  • 2017年6月 - 名古屋グランパス チーム統括部 トップチームグループ 強化担当

脚注

  1. ^ 2007年12月9日付京都新聞
  2. ^ 『中谷 勇介選手』“浦和レッズ”への期限付移籍のお知らせ』(プレスリリース)名古屋グランパスエイト、1999年10月21日。オリジナルの2002年12月22日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20021222142836/http://www.nagoya-grampus-eight.co.jp:80/news/1999/octo/news10_5.html2018年9月14日閲覧 
  3. ^ 中谷勇介選手が名古屋グランパスエイトより期限付移籍加入(06.01.10)』(プレスリリース)柏レイソル、2006年1月10日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000283552018年9月14日閲覧 
  4. ^ 中谷勇介選手が名古屋グランパスエイトより完全移籍(06.06.01)』(プレスリリース)柏レイソル、2006年6月1日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000337802018年9月14日閲覧 
  5. ^ 中谷 勇介選手 京都サンガF.C.へ期限付移籍(07.09.04)』(プレスリリース)柏レイソル、2007年9月4日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000540332018年9月14日閲覧 

関連項目

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「中谷勇介」の関連用語

中谷勇介のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



中谷勇介のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの中谷勇介 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS