中腹の滝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 16:41 UTC 版)
北側中腹には能勢の本滝があり、江戸時代より滝に打たれる者が増えた。江戸時代中期に刊行された摂津名所図会には能勢の本滝ではなく妙見滝とあり、能勢妙見堂の参詣者が打たれた滝であった。当時、滝の横には常富堂があったとされる。1834年に編纂された能勢東郷志においても参詣者が行をする妙見山滝と記述されており、滝が境内地の一部として栄えていたことがうかがえる。 しかし、妙見山は旗本である能勢氏の知行地であったため、明治政府の廃藩置県や版籍奉還の影響を少なからず受け、その後天台宗系修験道の僧侶である野間日照が、妙見瀧の地を野間中村より取得し居を構えた。1935年には野間日照により滝の横にあった常富堂を改築する形で本瀧寺(現在の妙見宗総本山)を建立した。現在、能勢の本滝までの山道に多くの石仏が祀られているのを見ることができるが、これは能勢の本滝が行場であった時代の名残である。 他に東側中腹に清滝、南西側中腹に新滝(雄滝)と呼ばれる滝がある。清滝の側には日蓮宗松籟山妙瀧寺がある。また、新滝は白瀧神社の境内地にある。
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