中村稔 (ゴルファー)とは? わかりやすく解説

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中村稔 (ゴルファー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/19 04:15 UTC 版)

中村 稔
Minoru NAKAMURA
基本情報
生誕 (1947-10-01) 1947年10月1日(77歳)
身長 174 cm (5 ft 9 in)
体重 73 kg (161 lb)
国籍 日本
出身地 静岡県
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中村 稔(なかむら みのる、1947年10月1日 - )は、静岡県出身の元プロゴルファー

富士箱根カントリークラブ所属[1]

来歴

伊東商業高校卒業[2]で、同校の後輩には土山録志[3]岩下吉久[4]坂下定夫[5]がいる。

中村は1969年にプロテストで合格し[1]1975年くずは国際では初日68、最終日69で謝永郁中華民国)・杉原輝雄と並んでの6位タイに入った[6]

1976年ゴルフダイジェストトーナメントでは2日目に何明忠(中華民国)・中嶋常幸宮本省三島田幸作鈴木規夫中村通橘田規田中文雄許渓山(中華民国)と8位タイ[7]に着け、3日目には3アンダーで中嶋・金海繁と並ぶ[8]

1977年アジアサーキットフィリピンオープンではテッド・ボールオーストラリア)と共に2日目に8位タイ[9]に着けると、3日目には陳清波(中華民国)と並んでの6位タイに浮上[10]

1978年の山梨プロアマで初優勝[2]を果たすと、1979年阿蘇ナショナルパークオープンではフェアウエーはフラットな場所がほとんどなく、アンジュレーションの多いグリーンで、風が強かったが、草壁政治と共に71で参加158選手中2人だけのアンダーを出し、首位タイに立った[11]

1978年のペプシウィルソントーナメントでは初日に鈴村照男上野忠美宮本康弘吉川一雄陳清波&謝敏男(中華民国)・新井規矩雄内田繁鷹巣南雄と並んでの6位タイ[12]でスタートし、3日目には山本謙太郎・上野・草壁・矢部昭中村通横島由一と並んでの9位タイ[13]に着け、最終日には山本・矢部・横島と共に川田時志春前田新作金井清一・土山と並んでの9位タイ[14]に留まった。

1979年の関東プロ[15]では初日に5アンダー67で尾崎将司と並ぶ首位タイ[16]でスタートし、1980年の山梨プロアマでは鷹巣・杉本英世と並んでの2位タイ[17]に入った。

1983年武富士サイパンでは初日に首位の内田と1打差の2位[18]でスタートし、最終日には磯崎功尾崎直道湯原信光上原宏一高橋勝成出口栄太郎中川泰一杉田勇と並んでの6位タイ[19]に入った。

1984年群馬オープンでは初日に岩下吉久に次ぐと同時に大町昭義海老原清治を抑え、森憲二と並んでの2位タイでスタートし[20]、最終日には新井・大町・伊藤正己に次ぐと同時に泉川ピート・川田・岩下・土山・森と並んでの4位タイに入った[21]

1986年KSB瀬戸内海オープンでは初日に5アンダー67で単独首位に立ち[22]、中川・宮本康・秋富由利夫・杉原・甲斐俊光佐野修一・泉川・中尾豊健古木譲二を抑えて優勝[23] [2]。連覇を狙った1987年の同大会では秋富、マイク・ハーウッド(オーストラリア)と並んで高橋勝の2位タイ[24] [25]に入った。

1996年フジサンケイクラシック[26]を最後にレギュラーツアー、2000年日本プロシニア[2]を最後にシニアツアーから引退したが、2000年の北海道シニアオープンでは井上久雄須貝昇と並ぶ7位タイ[27]に入った。

主な優勝

  • 1978年 - 山梨プロアマ
  • 1986年 - KSB瀬戸内海オープン

脚注

  1. ^ a b 研修生募集 - 富士箱根カントリークラブ”. www.fujihakone-cc.com. 2023年7月25日閲覧。
  2. ^ a b c d PGA会員詳細 - 公益社団法人 日本プロゴルフ協会”. www.smile-pga.jp. 2023年7月25日閲覧。
  3. ^ 土山 録志 - PGA会員詳細 - 公益社団法人 日本プロゴルフ協会”. www.smile-pga.jp. 2023年9月10日閲覧。
  4. ^ 岩下 吉久 イワシタ ヨシヒサ YOSHIHISA IWASHITA”. www.smile-pga.jp. 2023年9月9日閲覧。
  5. ^ 2003年シニア選手紹介”. 2003年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年12月2日閲覧。
  6. ^ 朝日新聞縮刷版p413 昭和50年4月14日朝刊9面「鈴木規逃げ切り優勝 くずはゴルフ
  7. ^ 朝日新聞縮刷版p745 昭和51年10月23日朝刊17面「内田が首位に ダイジェスト・ゴルフ
  8. ^ 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】東名カントリークラブ。中嶋常幸、4日間ツアー競技初優勝。1976年ゴルフダイジェストトーナメント”. golfdigest-play.jp. 2024年2月3日閲覧。
  9. ^ 朝日新聞縮刷版p573 昭和52年2月19日朝刊15面「謝永が首位に 日本の最高 中村稔八位 フィリピン・オープン
  10. ^ 朝日新聞縮刷版p602 昭和52年2月20日朝刊16面「謝永のリード続く 三位まで台湾勢 中村稔、六位に浮上 フィリピン・オープン
  11. ^ 朝日新聞縮刷版p282 昭和54年4月8日朝刊16面「中村稔・草壁がリード 阿蘇オープンゴルフ
  12. ^ 朝日新聞縮刷版p604 昭和53年5月19日朝刊16面「7アンダー橘田リード ペプシ・ゴルフ
  13. ^ 朝日新聞縮刷版p683 昭和53年5月21日朝刊19面「島田を尾崎急追 ペプシゴルフ
  14. ^ 朝日新聞縮刷版p715 昭和53年5月22日朝刊19面「尾崎が今季初優勝 ペプシ・ゴルフ 13アンダー、逆転
  15. ^ 【伝説の名勝負。ヒーローの足跡】東筑波カントリークラブ。青木功は変わった。「忍耐」そして「挑戦」へ。1979年関東プロ”. golfdigest-play.jp. 2023年7月25日閲覧。
  16. ^ 朝日新聞縮刷版p1083 昭和54年6月29日朝刊17面「尾崎将と中村稔リード 関東プロゴルフ初日
  17. ^ 毎日新聞縮刷版p565 昭和55年4月18日朝刊19面
  18. ^ 毎日新聞縮刷版p442 昭和58年3月13日朝刊18面「内田繁、首位に立つ サイパン・ゴルフ第1日
  19. ^ 毎日新聞縮刷版p466 昭和58年3月14日朝刊18面「プレーオフで青木基が優勝 サイパン・ゴルフ
  20. ^ 朝日新聞縮刷版p306 昭和59年7月8日朝刊16面
  21. ^ 朝日新聞縮刷版p340 昭和59年7月9日朝刊18面
  22. ^ 朝日新聞縮刷版p993 昭和61年3月30日朝刊19面「中村稔が単独首位に 瀬戸内海オープン
  23. ^ 朝日新聞縮刷版p1266 昭和61年3月31日朝刊18面
  24. ^ 朝日新聞縮刷版p1243 昭和62年3月30日朝刊23面
  25. ^ McCormack, Mark H. (1988). Ebel World of Professional Golf 1988. Collins Willow. pp. 252, 464. ISBN 0002182831 
  26. ^ 中村 稔選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年7月25日閲覧。
  27. ^ 第4回北海道シニアオープン”. 2003年4月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月2日閲覧。

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