中川 廣とは? わかりやすく解説

中川広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/11 01:03 UTC 版)

中川 広
生誕 1888年(明治21年)1月31日
日本兵庫県
死没 1954年(明治29年)10月31日
所属組織 日本陸軍
軍歴 1910年(明治45年) - 1941年(昭和16年)
最終階級 陸軍中将
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中川 広(なかがわ ひろし、1888年(明治21年)1月31日 - 1954年(昭和29年)10月31日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

兵庫県出身。1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し。1917年(大正6年)11月、陸軍大学校(29期)を卒業した。

1934年(昭和9年)8月、歩兵大佐に昇進し歩兵第70連隊長に就任。1936年(昭和11年)8月、第9師団参謀長に異動。日中戦争に出征し、第二次上海事変南京攻略戦徐州会戦に参加。1938年(昭和13年)3月、陸軍少将に進級し歩兵第2旅団長となる。1939年(昭和14年)8月、留守第3師団司令部付に転ずる。

1940年(昭和15年)8月、台湾混成旅団長に就任し中国に出征。同年12月、陸軍中将に進み、台湾混成旅団を改編し新設された第48師団長に親補された。1941年(昭和16年)8月、第48師団は台湾軍隷下となり台湾に帰還。1941年(昭和16年)9月、太平洋戦争の前に予備役編入となった。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

栄典

脚注

  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」106頁。
  2. ^ 『官報』第8313号「叙任及辞令」1911年3月11日。
  3. ^ 『官報』第460号「叙任及辞令」1914年02月12日。
  4. ^ 『官報』第1988号「叙任及辞令」1919年03月21日。
  5. ^ 『官報』第3534号「叙任及辞令」1924年6月5日。

参考文献

  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。




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