中島父子のダービー優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 17:32 UTC 版)
ヒサトモの東京優駿大競走制覇から37年後、1974年の第41回東京優駿を中島時一の息子・啓之がコーネルランサーに騎乗して優勝し、日本初の父子二代のダービージョッキーとなった。 だが、中島父子は互いのダービー制覇を見ていない。啓之は時一のダービー優勝の時にはまだ生まれておらず、時一は戦争による競馬中断を最後に競馬の世界から離れて故郷広島で農業に従事し、戦後は短期間だけ繋駕速歩競走の騎手として競馬場に戻ったがやはり広島に戻り、息子のダービー優勝を見る以前に没している。その死後の1976年、宮崎が所有していた池田勇八作の時一・ヒサトモ人馬の像が、宮崎の友人を介して啓之に贈られた。 なお、啓之は時一がダービージョッキーであったことは騎手候補生になるまで知らなかったという。
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