中山基雅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/20 01:37 UTC 版)
中山 基雅 (なかやま もとまさ)は、鎌倉時代中期の公卿。参議・中山忠定の子。官位は正三位・非参議。中山家4代。
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時代 | 鎌倉時代中期 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 文永3年1月3日(1266年2月9日) |
官位 | 正三位・非参議 |
主君 | 四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇→亀山天皇 |
氏族 | 中山家 |
父母 | 父:中山忠定、母:家女房 |
兄弟 | 道平、基雅、師親、良兼、宗覚 |
妻 | 姉小路実世の娘 |
子 | 家親、経親、道紹、庭田経資室 |
経歴
右近衛少将、備中介、蔵人頭などを歴任し、建長7年(1255年)従三位・非参議に任ぜられ、公卿に列する。しかし、3年後の正嘉2年(1258年)正三位に任ぜられるも、11月に出家。文永3年(1266年)薨去。
官歴
注釈のないものは『公卿補任』による
- 時期不明:左近衛中将
- 延応2年(1240年) 正月6日:従四位下[1]。正月29日:右近衛少将[2]
- 仁治3年(1242年) 11月12日:正四位下[3]、備中介[3]
- 建長6年(1254年) 3月13日:蔵人頭[4]
- 建長7年(1255年) 12月13日:従三位・非参議。左中将如元
- 正嘉2年(1258年) 4月6日:正三位。11月30日:出家
- 文永3年(1266年) 正月3日:薨去[5]
系譜
脚注
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