中寮焼失
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:25 UTC 版)
1941年3月8日午後6時50分頃。中寮2階27号室の住人が電気ストーブをつけっぱなしにして外出したところ、火災が発生した。火災に気づいた舎生は中寮2階に集合し、総務(北寮・中寮・南寮の代表者)指揮の下、寮内設備の消火栓で消火を試みた。しかし水圧が不足していたのか放水の威力ははなはだ弱かった。消火に手間取っているうちに炎は天井から屋根裏部屋に燃え移り、西に延焼していった。火災は午後7時50分頃に下火となり、午後9時50分頃までに完全に鎮火した。中寮40室のうち5室が全焼し、17室が半焼、14室が水浸し、残る4室も破壊された。備品や私物も数多く失われた。中寮全体が居住不能になり、中寮寮生は南寮と北寮に移住した。死者はなく、寮生2名と健康相談所の用務員が消火作業中に軽傷を負った。中寮は翌1942年に再建された。その際には部屋の間取りが変更され、中寮は以前よりやや短くなった。
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