三関の役割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 05:37 UTC 版)
古代、三関は天皇の交代など政情不安の際交通を遮断のため、堅く閉められていた。三関には鼓吹軍器(兵器類)が常備され、必ず複数の国司四等官が関を守護するため常駐する規定があった。この常駐四等官は城主とよばれ、非常事態に備えていた。 非常事態が発生すると、朝廷は三関に固関使(こげんし)を派遣する。この際、蔵司が保管する関契とよばれる割符の左符が固関使に与えられ、三関で国守によって保管されていた右符と照合を行なう。これが一致すると非常事態と認められ、関が閉鎖された。これを固関と呼ぶ。非常事態が解消した後の解関(開関)も同様の手続きによった。 関を閉鎖するのは東国から畿内への侵入を防ぐためである。特に中央で非常事態が発生した折に、その期に乗じての東国から畿内への侵入を防ぐ目的である。また中央の謀反者の東国への逃走を防ぐ目的もあり、天平宝字8年(764年)の藤原仲麻呂の乱では、愛発関を閉じて仲麻呂が息子のいる越前国への逃亡を防いだ。
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