三村から離反とは? わかりやすく解説

三村から離反

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/25 13:33 UTC 版)

植木秀長」の記事における「三村から離反」の解説

この後、秀長は新たに佐井田城築いて以後植木一族本拠としたようだ時期不明である。永禄10年1567年)の明善寺合戦では三村元親備前国宇喜多直家戦ったが秀長も『備前軍記』には三村方に交名有り、これに敗れた後に佐井田城籠城したもの宇喜多忠家率いる9,000の兵に囲まれた為、降伏して宇喜多氏へと鞍替えしたという。 永禄12年1569年11月三村元親毛利へと援軍要請し毛利元清熊谷信直らを加えた軍団佐井田城攻略狙った三村毛利軍包囲受けた佐井田城では徐々に兵糧欠乏し窮地に立たされた秀長は夜陰紛れて脱出させた嶺本与一兵衛使者として宇喜多直家援軍要請した。これを受けて直家は戸川秀安派遣し12月に城を囲む三村毛利軍交戦し穂井田実近を討ち取り三村元親負傷撤退させるなど快勝し首級多数挙げたしかしながらこの後より各書物で秀長の名は出なくなり嫡子・秀資が佐井田城主に切り替わっており、秀長は佐井田城戦いの後ほどなくして死去した推測される

※この「三村から離反」の解説は、「植木秀長」の解説の一部です。
「三村から離反」を含む「植木秀長」の記事については、「植木秀長」の概要を参照ください。

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