三国祭(山王祭)での性海寺神輿礼拝について
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江戸後期、嘉永七年(1854)の「金剛寶山年中行事標要集」によると、四月申の日の前日、性海寺の院家(住職)が輿に乗り、総勢十八人で山王宮に出かけ、氏子安全のため神前で読経、護摩修行を行った。また祭礼当日、性海寺門前の石橋むかいの正面まで神輿(山王権現)の渡御があり、院代役僧のうち一人が神輿の前で読経した。 現在では、祭礼当日早朝に三国神社を出発した大神輿(大山咋命 おおやまくいのみこと)、小神輿(継体天皇)が夕方ごろ寺門前に渡御し、住職他院代が神輿前で法楽する習わしとなっており、当時の性海寺と三國神社との緊密な関係性を表している行事である。
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