一月の全景として鷗二羽
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冬 |
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評 言 |
ゼロから一が生じることの証明は、至難の業であるに違いない。ゼロが揺らぐのだと言われれば、そうかとも思うが、では、そのゼロとは何であったのかという疑念は、釈然とせぬままくすぶり続ける。 だが、一から二が生じることについては、誰も納得せざるを得ない。一という全体が分節され、二という部分が生じるのは、自然の摂理である。 掲句は、全体から部分が生じるその刹那を詠んでいる。原初の全景は混沌の空。そこに現れた鷗二羽が、はじめて世界を分節する。けれど、その二羽は、作者の内部で、まだ部分になっていない。それ自身、世界の全体として存在しているのである。 混沌の空は、ゼロ。しかし、作者は、それが一月の空だと言う。そのことによって、空は文化的な揺らぎを生じて一となり、たちまちに二羽の鷗を分節させる。一月が初めの月だという認識は、ただの約束ごとに過ぎないが、その約束は世界を覆っており、全人類の気は、その時点でほぼ同時に一新される。つまり、一月とは、リセットされた後の気分なのである。その気分を分節し、実体化されたものが「鷗二羽」である。 だが、この「二羽」は、硬質な形而上学ではない。かといって、愛のメタファーでもない。いわば寂寥に拮抗する命。存在と無とのあわいに浮遊する無垢の生命であろう。 出典『全景』 <写真も筆者による> |
評 者 |
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備 考 |
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