一族の主な人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 05:11 UTC 版)
ウード・ド・シャティヨン(1042年 - 1099年) - 教皇ウルバヌス2世 シャルル・ド・ブロワ(1319年 - 1364年) - シャンパーニュの領地を支配し、聖人とされた。妻ジャンヌの権利によりブルターニュ公国の継承を主張しドルー家(モンフォール家)と対立、これによりブルターニュ継承戦争が勃発した。シャルルの持っていた称号は一時の間、子孫に継承された。 ゴーシェ1世・ド・シャティヨン - ナンテュイユ領主(Seigneur de Nanteuïl) ミロン・ド・ナントゥイユ(en) - ナンテュイユ領主 ルノー・ド・シャティヨン(1125年頃 - 1187年) - 第2回十字軍に参加し、アンティオキア公となる。 アニェス・ド・シャティヨン(1154年 - 1184年) - ルノー・ド・シャティヨンの娘、ハンガリー王ベーラ3世妃。 ゴーシェ3世(1166年 - 1219年) - ブルゴーニュのセネシャル、フランス王フィリップ2世に従い第3回十字軍に参加し、アッコンの包囲およびブーヴィーヌの戦いで名を馳せた。 ゴーシェ5世(1249年 - 1329年) - ゴーシェ3世の曾孫、フィリップ4世のもとでフランス軍総司令官(Connétable de France)、ルイ10世のもとで首相。 ジャンヌ・ド・シャティヨン(1285年頃 - 1354年) - アテネ女公(1311年 – 1354年) マリー・ド・サン=ポル(1303年頃 - 1377年) - ペンブルック・カレッジの創設者 ジャック1世・ド・シャティヨン(1256年 - 1302年) この一族は、コリニー兄弟(シャティヨン枢機卿オデ、ガスパール、フランソワ・ダンデロ)を輩出したシャティヨン=コリニー(Châtillon-Coligny)領主家とは全く関係がない。
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