ヴェルヴェット・アンダーグラウンドへの短期間の復帰
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「アンガス・マクリーズ」の記事における「ヴェルヴェット・アンダーグラウンドへの短期間の復帰」の解説
1966年にヴェルヴェット・アンダーグラウンドのリードシンガー兼ギタリストであるルー・リードが肝炎で入院したことで、マクリーズは1966年6月21日から26日にかけて、シカゴのPoor Richard'sにて、「Exploding Plastic Inevitable」公演における5日間で復帰参加し、アンガスがタブラを演奏するように教えこんたジェラルド・マランガと役割を分担した。ケイルがリードボーカルとオルガンを引き継ぎ、ドラマーのモーリン・タッカーがベースに切り替え、マクリーズがドラムを叩いた。しかし、今では、タッカーの独特なトライバル・スタイルのドラムが、グループの音楽に不可欠となっていた。 1966年の「Exploding Plastic Inevitable」公演中、マクリーズは30分遅れて現れ、セットが終わった後に、30分におよぶドラムを叩き続け、自身の到着の遅れを補った。 この時までに、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは(大きな経済的成功ではないにしても)ある程度の知名度を見出しており、マクリーズはグループに再び参加することを切望したが、ボックスセットのメモによると、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの主要ソングライターであり事実上のバンドリーダーであるルー・リードが、その不安定な振る舞いを理由に、マクリーズがフルタイムでバンドに復帰することを強く禁じた。
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