ヴィクトリア女王の即位と寝室女官事件 (1837年-1839年)
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「アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」の記事における「ヴィクトリア女王の即位と寝室女官事件 (1837年-1839年)」の解説
1837年6月20日にウィリアム4世が崩御し、その姪である18歳のヴィクトリアが女王に即位した。同日開かれたヴィクトリア女王最初の枢密院会議にはウェリントン公爵も出席していたが、彼はその時の光景を「彼女はその肉体で自らの椅子を満たし、その精神で部屋全体を満たしていた」と表現している。 即位当初の女王は首相メルバーン子爵を偏愛したが、メルバーン子爵は妥協的関係にあった保守党や急進派の離反で求心力を落としていき、1839年5月7日に女王に辞表を提出した。この際にメルバーン子爵は保守党貴族院・院内総務であるウェリントン公爵を後任の首相に推挙した。 女王はその助言に従って5月8日にウェリントン公爵を召集したが、彼は「70過ぎの自分には首相の大任は務まりません。庶民院への影響力もありません」と拝辞し、代わりにピールに大命を与えるべきことを上奏した。またこの際女王はウェリントン公爵に「今後もメルバーン卿に諮問してよいか」と下問している。野党党首が宮廷で個人的に君主の相談役になるなど前代未聞であったが、ウェリントン公爵は女王の気持ちも察してこれを了承した(彼はメルバーンも一廉の議会政治家なのでメルバーン自身が拝辞するだろうと考えていたようである)。 だが同日午後に召集されたピールは大命を拝受しつつもメルバーン子爵が女王の相談役になることには反対し、女王の不興を買った。さらにその翌日にピールはホイッグ党議員の妻が大半を占める寝室女官をはじめとした女官の一部を保守党の議員の妻に入れ替える宮廷女官人事案を女王に提出したが、女王は女官の人事は女王の私的人事と称してこれに強く反対し、ピールと女王の間で激しい政治闘争が発生した。 ウェリントン公爵はなんとか二人の仲を取り持とうと尽力したものの、二人はお互い引く様子を見せなかった。結局ウェリントン公爵はピールに大命を拝辞することを勧め、ピールはメルバーン子爵が引き続き首相を務めることに同意するに至った。ウェリントン公爵もメルバーン子爵になるべく協力することを約束することになった この事件は寝室女官事件と呼ばれる。
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