ヴァレリー・カルピンとは? わかりやすく解説

ヴァレリー・カルピン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/25 05:26 UTC 版)

ヴァレリー・カルピン
名前
本名 ヴァレリー・ゲオルギエヴィチ・カルピン
Valeri Georgievich Karpin
ラテン文字 Valeri Karpin
ロシア語 Валерий Гео́ргиевич Ка́рпин
基本情報
国籍 ロシア
 エストニア
生年月日 (1969-02-02) 1969年2月2日(56歳)
出身地 エストニア・ソビエト社会主義共和国ナルヴァ
身長 182cm
体重 77kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1985-1986 SKスポルト・タリン 25 (1)
1986-1989 PFC CSKAモスクワ 3 (0)
1990 FCファーケル・ヴォロネジ 25 (7)
1991-1994 FCスパルタク・モスクワ 116 (29)
1994-1996 レアル・ソシエダ 72 (16)
1996-1997 バレンシアCF 36 (6)
1997-2002 セルタ・デ・ビーゴ 168 (26)
2002-2005 レアル・ソシエダ 107 (20)
2007 コルショ
代表歴
1992 CIS 1 (0)
1992-2003[1] ロシア 72 (17)
監督歴
2009-2012 スパルタク・モスクワ
2012-2014 スパルタク・モスクワ
2014-2015 RCDマヨルカ
2015-2016 FKアルマヴィル
2017-2021 FCロストフ
2021- ロシア
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ヴァレリー・カルピンValeri Karpin, 1969年2月2日 - )は、エストニアナルヴァ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF(RSH、OH)。

選手経歴

エストニア生まれであるが、ソ連崩壊時、国際舞台での活躍機会の多いロシア代表を選択した。

1985年に地元のクラブチーム、スポルト・タリンでキャリアをスタート。1991年スパルタク・モスクワへ移籍すると3年連続リーグ優勝を果たし、1994年アメリカW杯にも出場。同年リーガ・エスパニョーラレアル・ソシエダへ移籍し、その後バレンシアCFセルタ・デ・ビーゴとスペインのクラブチームを転々とし、セルタではアレクサンドル・モストヴォイとともにチームの上位進出に貢献。モストヴォイとのコンビは「ロシアン・コネクション」と呼ばれ、称えられた。1999年のロシア最優秀選手にも選ばれた。

その後、2002年には日韓W杯にもロシア代表として出場し、日本代表とも対戦。同時にソシエダに復帰し、チームの中心選手として活躍した。

2004-05シーズン終了後、現役を引退し選手生活に終止符を打ったと思われたが、2007年にセグンダ・ディビシオンB(3部相当)のコルショFCと契約を結び、現役復帰した。その後改めて現役引退。

指導者経歴

2008年、かつて所属していたスパルタク・モスクワのゼネラルディレクターに就任[2]

2009年4月、成績不振により解任されたミカエル・ラウドルップの後任として同クラブの監督に就任した。

2011年4月18日、開幕から成績不振でクラブ史上最悪のスタートを切ったとして辞任を表明したが、最終的に2011-12シーズン終了まで監督を務めた。リーグ戦最終順位は2位であった。

2012年11月25日、成績不振により解任されたウナイ・エメリの後任として、年内までの暫定指揮をとった後、再びスパルタク・モスクワの監督に就任した。

ロシア・カップで3部のFKトスノに0-1で敗退、リーグ戦で下位のFCアンジ・マハチカラにホームで2-2で引き分けたことが引き金になり、2014年3月18日、解任された。

同年8月12日、セグンダ・ディビシオンRCDマジョルカの監督に就任した。2015年2月10日、降格圏寸前の15位に低迷したため解任された。

2015年、ロシア・ナショナル・フットボールリーグへ昇格したFKアルマヴィルの監督に就任した。就任後1年でロシア・セカンドディビジョンに降格したため、2016年6月23日解任された。

2017年12月9日、FCロストフの監督に就任した。

2021年7月23日、ロシア代表の監督に就任した[3]

事業者として

引退後はスペインに留まり、事業を開始。スペインのテレビ局「TVE2」でサッカー中継の解説も務めていた。また2007年には長年プレーしたセルタ・デ・ビーゴの本拠地であるビーゴに自転車ロードレースのコンチネンタル・プロチーム「カルピン・ガリシア(現・シャコベオ・ガリシア)」をミチェル・サルガドと共に創設。2007年のブエルタ・ア・エスパーニャはこのチーム創設を祝って第1ステージをビーゴからスタートしゴールした。

その他

レアル・ソシエダ時代のニックネームは「腐った牛乳」。カルピンのキツイ性格を意味するスペイン語のスラングである。

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 1試合 0得点(CIS、1992年)[4]
  • 国際Aマッチ 72試合 17得点(ロシア、1992年-2003年)[4]


CIS代表 国際Aマッチ
出場 得点
1992 1 0
通算 1 0


ロシア代表 国際Aマッチ
出場 得点
1992 3 1
1993 6 0
1994 6 1
1995 8 3
1996 12 4
1997 2 0
1998 5 0
1999 9 6
2000 4 1
2001 9 0
2002 7 1
2003 1 0
通算 72 17

タイトル

選手時代

FCスパルタク・モスクワ
セルタ・デ・ビーゴ

脚注

出典

  1. ^ “Valery Georgievich Karpin - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/karpin-intl.html 
  2. ^ KARPIN APPOINTED AS GENERAL DIRECTOR OF FC SPARTAK MOSCOW(英文)
  3. ^ ロシア代表、ヴァレリー・カルピン監督を招聘”. キッカー日本語版 (2021年7月24日). 2021年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月24日閲覧。
  4. ^ a b ヴァレリー・カルピン - National-Football-Teams.com

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