ヴァルラム系(ナッサウ=ヴァイルブルク家)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 03:55 UTC 版)
「ナッサウ家」の記事における「ヴァルラム系(ナッサウ=ヴァイルブルク家)」の解説
詳細は「en:House of Nassau-Weilburg」を参照 ヴァルラム2世の子アドルフは、1292年にローマ王に選出されたが一代限りに終わり、以後アドルフの家系はドイツの小貴族として続いた。アドルフの孫ヨハン1世 (en) は1355年にヴァイルブルク伯となったため、この家系はナッサウ=ヴァイルブルク家と呼ばれる。 1806年にナッサウ公国が成立し、ドイツ連邦時代までナッサウ=ヴァイルブルク家のフリードリヒ・アウグスト (de) 、ヴィルヘルム、アドルフの3代のナッサウ公が治めた。普墺戦争でオーストリア方についたため、1866年にナッサウ公国はプロイセン王国に併合され、ヘッセン=ナッサウ州となって姿を消した。しかし1890年、アドルフはルクセンブルク大公に迎えられ、以後その子孫が大公家として続いている。 なお、シャルロットは家名をリュクサンブール(ルクセンブルク)家と改称、またシャルロットがブルボン=パルマ家のフェリックスを夫に迎えたことにより、現在のルクセンブルク大公家はパルム=リュクサンブール家(ブルボン=パルマ家の分家に当たる)であるが、ナッサウ=ヴァイルブルク家の名称は現在でも用いられる。
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